思い込み
小学生の頃までに人気のある、クラスの中心の人物は、かけっこが速いとか、とび箱が6段飛べるとか、ドッジボールが強いとかそういう人だった。
そういう人は人気によって、優遇されることは多かった。普段から目に見える人気「得点」を稼いでいるから、少しくらいなにか悪いことがあって得点がマイナスされても、総合点に支障がなかったのだ。
喧嘩があれば、真っ先に疑われるのは普段の行いがマイナスか、プラスもない得点の低い人。
その人が怒られても次第に「またあの人か」と慣れていった。
得点の高い人はすべての行いが「良い」ように見えて、得点の低い人はすべての行いが「悪い」のではないか? から始まる。
こういう思い込みは生まれながらに人間に刷り込まれている、一種の宗教みたいな要素な気がする。
錯視。錯覚。勘違い。
だから、数字的根拠のある、科学や実験は揺るぎない事実だから、私は好ましいと思うのかもしれない。
人間のパラメーターが数値化されてしまったら、世の中はどんな風に変わるんだろう。