世界は美しい
私たちが思う以上に、感情による思い込みのチカラは強い。果てしなく強い。
こうだと決意したときの火事場の馬鹿力はとてつもないパワーを発揮するし、行きたくないと切に願えば吐き気や腹痛をもよおし、胃に穴を開けることもできる。想像妊娠なんかもできるんだっけ。
ただこのチカラは大抵、自分を守るためによく働くらしい。
自分が正義であるために相手を悪としたり、可哀想な自分であり続けるために、トラウマから抜け出せなくする。
敵意帰属バイアス。
相手が敵だと思い込み、敵が発する言動はすべてが悪にみえる。悪にしたいのだ。我が身が正義であるために。
不良少年の母親は、いつも息子に勉強をしなさい、門限は守りなさい、家族を大切にしなさいと、そういう姿になってくれない息子を嘆いたとする。
母親の思う通りの言動をしてくれないと「あー、やっぱりね。不出来だからね。」と言う。否、言える。
言いつけを急に守るようになったら「この子は不出来で私を苦しめたいのだから、なにか裏があるんじゃないか?」と疑わないだろうか。不出来であることを望んだりはしていないだろうか。
不出来を期待したり、しないだろうか。
急に更生してしまったら、息子を叱る良い母親という正義である環境の法則が変わってはしまわないだろうか。
そういう相手を枠に収めるような「箱」を思い込みという感情は、記憶をも操作して、作り変えることもできるらしい。
闇があるから、感情による「感動」は闇の分、光が輝いて美しく感じるのかなあ。