プリン嫌いによるプリン好きのためのプリンの紹介
もうタイトルに書いてしまっている通り、私はプリンが嫌いだ。
機会損失するのが好きじゃないから、食わず嫌いは好きじゃない。なので、過去に何度も何種類もプリンを食してみている。
けれども、プリンを一口食べるとあの濃厚な甘さが口に広がり、三口も食べると気分が悪くなる。そんな状態になるので、苦手というよりも「プリンが嫌い」なのだ。
そんなプリン嫌いが、たまたま入ったプリン屋「マハカラ」。
季節限定 黒ごまプリンだ。幸せになれるらしい。
お店の地下で食べられるのだけど、なんと「隣の居酒屋でも食べられますよー」とのこと。ん?と思って詳しく聞くと、元々は「マハカラ」という串カツ居酒屋のデザートメニューなのに、それが美味しすぎて『別館』を作ったのがこのお店なのだと。
ここはプリン屋ではなくて、居酒屋デザートメニューを販売する別館だったのだ。
まじかよ、そんなところのプリン絶対美味しいじゃん。と、意気揚々と購入して、地下のスペースへ。
シューーーール
おーーい。シュールだよー
冷蔵庫がいくつもあって、剥き出しのテーブルやら壁やら。でもこのいかにも倉庫感がプリンを引き立てていて、ここで食べるプリンは最高だったなあと。
どうしても語りたかったプリン紹介でした。
また季節限定メニュー食べいこー。
今日はなにを着ていく?
最近 友人の「風水切り絵作家」さんが、スライムやハムスター、はたまたテクニカルアナリスト(証券とか株の動きを予想するプロだよ)の話しかしてくれないので、ほんとうに風水切り絵作家なのか疑わしくなってきた私です。
みなさん普段着る私服って、何着持ってますか?
私は4着です。まあ、上下を組み合わせればもうちょいとだけ増えるんですかね。
たまにね、服装について褒められるんですよ。好みだとか、私の好きな系統と一緒だとか。
それは嬉しい限りなんですけど、そういえば「あれ、私…今日着てるこれくらいしか服持ってないぞ」となりまして。
なんでこんなに服持ってないんだろう。服を持ってない=可哀想な子に見えるかなあ?と恥ずかしく思ったんですね。なので服を持っていない理由を考えました。
理由は【お気に入りしか着ない】から。
気にいった服以外はそもそも買わない。なんとなく可愛い着たい!これ使えるかも!な服をいつしか買わなくなりました。だから服がそんなに増えません。
今日来ていた服はもう4年以上着ています。小物とかは髪型や好みで変わってるんですけど、けっこう服は同じ物を使ってます。
持っている服が少ないのは貧乏っちくて恥ずかしいかなと思ったんですけど、私はいつもお気に入りの服を着ていて、そのお洋服は褒められてもいる。
だから恥ずかしいことなんか何一つないし、自分の価値が下がっているようなこともなかったのです。
今日はなにを着ていきますか?
英語が上手くなりたいと思えた日
私は昔から耳がいい。
耳がいいというのは、通常使われるような「耳が遠い」の対義語に位置する意味合いではなく、『音を拾う』のが上手いのだ。
中学2年生の頃は、姉の通っていた 個人経営の英語塾に通っていた。なんの目的で通っていたのかは、いまとなっては忘れてしまった。
ただ、当時は、いや当時から英語が苦手で興味も湧かず。文字を見るのも嫌だった。その塾で英語の勉強をして英検3級の取得をしたっけ。
そこでは単語を覚えましょうとかはなく、
・スペルの正しい読み方
・速読
・読むと同時に訳すよう意識する
を教えてもらったのだ。なので細かい単語や文法の正しい意味はほぼ無視して、意訳をしていた。
でも何かが理由でそこに通うのが嫌になって、通わなくなって、逃げた気まずさを今でも感じている。先生のことも、そこでの勉強も嫌いなわけじゃなかったんだけど。お金は通うときに現金で渡していたから、それで親に、先生に迷惑をかけたとかはないのだけれど。途中で逃げた思い出が苦く残っている。
それから私は「英語から逃げたのだ」という思いが残っていて、その苦手意識のまま、「別に英語はできなくても日本ならそこそこ生活できるし」と言い訳をして逃げてきた。
そんな私が英語を話せるようになりたいと思った。
昨日、今日と「TrueAct(心からのアクトを)」というパフォーマンスショーの舞台で、審査員の方の対応をしたのがきっかけ。
審査員の1人に日本国籍ではなく、英語を話される方がいた。「Mr.Picasso」。
ピカソは私が英語が分からないことが分かるや否や、ゆっくり、そして出来るだけ簡単な単語を使って要望を話してくれた。上手く聞き取りも伝えることもできず、何度も至らなくて「sorry」とだけ私は繰り返した。
昨日、ピカソがほかのスタッフと移動中に遭遇し、私はドアの開閉を行った。でも舞台のドアというのは防音加工された分厚く重い扉がおおく、非力な私は開けるのに時間がかかってしまった。申し訳ない!って顔をしていると、ピカソはそんな私に「You are powerful !」と声をかけてくれた。
単語だけ聴くと「力持ち」だけど、ピカソの顔はとても穏やかで優しく微笑んでくれていて「重いのに頑張ってくれてありがとう」という意味なんだと思った。
その後も会うたびに私を見つけては声をかけてくれるピカソ。
打ち上げでもまた声をかけてくれる。そして、「今日はどうだった?私はとっても楽しかったよ!」と。
本当に本当に今日まで励ましてくれてありがとうと伝えたくて
『Mr.Picasso! Thank you!! Thank you!!』
私もとても楽しかったよ!でも疲れて疲れて、、もーーお腹すいた。゚(゚´ω`゚)゚。
『I,m happy . But hungry. Very very hungry.」
こんな単語しか出てこず、握手してくれたピカソの手を強く握りしめた。そしたらピカソが、頷いた後に抱きしめてくれて、「そっかそっか。お腹すいたね。いっぱい食べるんだよ」と返してくれた。
きっと私が理解していない言葉もたくさんあるんだろう。勘違いもあるかもしれない。けど、そんなことよりも、優しくしてくれたピカソにどれだけ救われたのか、自分の言葉で伝えることができなかったのが悔しいと思った。
それでもこんな私に、別れ際にピカソは、日本語の歌を歌ってくれた。私は知らない歌だったけれども「お別れは悲しいけど、また今度」という単語が入っていた。
きっとまた会える。会えたとき、ピカソは私のことを覚えていないかもしれない。けれども今度会ったときには、この2日間、ピカソからもらったたくさんの温かさへの感謝の気持ちを伝えたい。
だから今日、私は「英語が上手くなりたい」と生まれて初めて、心から思ったのだ。
塵も積もれば山となる
簡単だけどシンプルだからこそすぐに見誤る優先順位。
昨日は自分を大切にしないと、誰かを大切にする行動すら体ができなくなっちゃうよ。なんてブログを書いてたくせに、やっぱりそれって簡単じゃないんだよね。
私は基本的に自分が犠牲になれば、誰かが助かるなら、崖から飛び降りてもいいというタイプなんですよ。
それって優しい人に見えるかもしれないけど、そうじゃないんだよね。自分に優しくしてあげてない。
今日は何があったのかと言うと、お昼を取る時間の優先順位。
11:45-13:30まで2時間くらい。お昼を取る時間はたっぷりあった。なのに、来賓のお出迎えもあるしとか、私よりも上長の方がお昼を先に取って欲しいと自分から発言して決めた。
結局お昼を食べるのが遅くなってしまって、クタクタに私が疲労していたんだよね。お昼は食べれたから良かったものの、それは結果論で。
そういう小さな「自分に優しくない」積み重ねも、地理に積もればなんとやら。
おもてなし
自分が子宮筋腫になって手術を体験してから、身体を優先することをよく考えるようになった。
今更だったけど、よくよく思い返してみると7年間、自覚症状が出ていたのに病院に行かなかった。
日に日に悪化していく痛みと生理の大量出血。
手術前には電車を降りるときに立ち上がるだけで目眩。接客中は座っているのに目の前が真っ暗になって見えなくなることが増えていった。1ヶ月のうち3週間は頭痛か子宮の痛みがあった。
見つかったときには医師に「絶対につらかったはずなのにどうしてこんなになるまで我慢したのか」と激怒された。
手術前も、手術後のつらさも経験して思うのは、「なんとかはならない」ってこと。
そんなちょっと熱出たくらいで大袈裟な。頑張れ、耐えどきだから。気のせいじゃないのか。
それで目の前の人が明日亡くなっても、私はは責任が取れない。
風邪1つ取っても、本人はつらいし、周りはうつされたら迷惑だし。
自分のためにも、周りのためにも、お客さんのためにも、自分がパフォーマンスを発揮できる万全の状態で仕事をしてほしい。
身体の中は目に見えないからこそ、なんとかなると思わないでほしいんだ。
茶道のお作法の「おもてなし」という考え方は、来てくださったお客様をおもてなすのはもちろんだけど、前提には『自分を一番にもてなして、大切にする』という考え方が本当の意味なんだよ、と教わったことを思い出す。
おもてなし、してあげてる?
自律②
仕事をする上で気をつけてること。
雑談は多めに。
悪口は限りなくゼロへ。
自分を良い意味で疑う。
仕事なのだから仕事ができていればもちろん問題ない。けど、一緒に働く人が好きになったり、知らないより知っているほうが楽しく仕事ができる。楽しく仕事ができたほうが、長期的にみたときの生産性は高いと思う。
悪口は言っても問題はなにも改善しない。会社員の場合だけど、就業時間中はお給料が発生している時間。悪口を言ってもお金は生み出せない。その悪口を言う時間がもったいないから、その時間はさっさと働こう。
人間だから誰でもミスをする。常に正解の行動を取れる人はなかなか居ない。だから、いつも私が間違ってるかもしれない、と思ってる。
せっかく自分の時間を売って働くなら、気持ちよく生産性高く働きたくない?