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感じたことの原石

英語が上手くなりたいと思えた日

私は昔から耳がいい。

耳がいいというのは、通常使われるような「耳が遠い」の対義語に位置する意味合いではなく、『音を拾う』のが上手いのだ。

 

中学2年生の頃は、姉の通っていた 個人経営の英語塾に通っていた。なんの目的で通っていたのかは、いまとなっては忘れてしまった。

 

ただ、当時は、いや当時から英語が苦手で興味も湧かず。文字を見るのも嫌だった。その塾で英語の勉強をして英検3級の取得をしたっけ。

 

そこでは単語を覚えましょうとかはなく、

・スペルの正しい読み方

・速読

・読むと同時に訳すよう意識する

を教えてもらったのだ。なので細かい単語や文法の正しい意味はほぼ無視して、意訳をしていた。

 

でも何かが理由でそこに通うのが嫌になって、通わなくなって、逃げた気まずさを今でも感じている。先生のことも、そこでの勉強も嫌いなわけじゃなかったんだけど。お金は通うときに現金で渡していたから、それで親に、先生に迷惑をかけたとかはないのだけれど。途中で逃げた思い出が苦く残っている。

 

それから私は「英語から逃げたのだ」という思いが残っていて、その苦手意識のまま、「別に英語はできなくても日本ならそこそこ生活できるし」と言い訳をして逃げてきた。

 

そんな私が英語を話せるようになりたいと思った。

 

昨日、今日と「TrueAct(心からのアクトを)」というパフォーマンスショーの舞台で、審査員の方の対応をしたのがきっかけ。

 

審査員の1人に日本国籍ではなく、英語を話される方がいた。「Mr.Picasso」。

 

ピカソは私が英語が分からないことが分かるや否や、ゆっくり、そして出来るだけ簡単な単語を使って要望を話してくれた。上手く聞き取りも伝えることもできず、何度も至らなくて「sorry」とだけ私は繰り返した。

 

昨日、ピカソがほかのスタッフと移動中に遭遇し、私はドアの開閉を行った。でも舞台のドアというのは防音加工された分厚く重い扉がおおく、非力な私は開けるのに時間がかかってしまった。申し訳ない!って顔をしていると、ピカソはそんな私に「You are powerful !」と声をかけてくれた。

 

単語だけ聴くと「力持ち」だけど、ピカソの顔はとても穏やかで優しく微笑んでくれていて「重いのに頑張ってくれてありがとう」という意味なんだと思った。

 

その後も会うたびに私を見つけては声をかけてくれるピカソ

 

打ち上げでもまた声をかけてくれる。そして、「今日はどうだった?私はとっても楽しかったよ!」と。

本当に本当に今日まで励ましてくれてありがとうと伝えたくて

『Mr.Picasso!  Thank you!! Thank you!!』

私もとても楽しかったよ!でも疲れて疲れて、、もーーお腹すいた。゚(゚´ω`゚)゚。

『I,m happy .  But hungry. Very very hungry.」

 

こんな単語しか出てこず、握手してくれたピカソの手を強く握りしめた。そしたらピカソが、頷いた後に抱きしめてくれて、「そっかそっか。お腹すいたね。いっぱい食べるんだよ」と返してくれた。

 

きっと私が理解していない言葉もたくさんあるんだろう。勘違いもあるかもしれない。けど、そんなことよりも、優しくしてくれたピカソにどれだけ救われたのか、自分の言葉で伝えることができなかったのが悔しいと思った。

 

それでもこんな私に、別れ際にピカソは、日本語の歌を歌ってくれた。私は知らない歌だったけれども「お別れは悲しいけど、また今度」という単語が入っていた。

 

きっとまた会える。会えたとき、ピカソは私のことを覚えていないかもしれない。けれども今度会ったときには、この2日間、ピカソからもらったたくさんの温かさへの感謝の気持ちを伝えたい。

 

だから今日、私は「英語が上手くなりたい」と生まれて初めて、心から思ったのだ。