mogicommu

感じたことの原石

ほんとうに無料のもの

最近なあ、「無料」の物に目が止まらなくなっているんや

 

物にも寄るというか、無料の種類に寄るかな

・ほんとうに無料

・お金以外の対価を払っている

・自分はほんとうに無料(他の人はお金を払っている)

 

ほんとうに無料の物に、目が止まらなくなっているというのが、意味合いとしては近いかも

 

・ほんとうに無料

例えば、無料で参加できる講演会と有料で参加できる講演会。

有料のほうは、自分のお金を払っているのと、講演会はその場のその時の出演者や観客の息遣いそのものを体感できることも価値でしょう? だから、一瞬一瞬を、どうにか学びたいという気持ちが強くなって得られるものは大きいと思う。

 

お金(対価)を払っている側も、受け取る側も、そこに対価が発生していると思うと、一種の緊張が走る。それが良い刺激として作用する。

 

6/15の乙武さん講演会のスタッフグループに秘書として参加しているけど、これは有料。有料だからこそ、「他のお金を払っている人にどう見られるのかの不安と、せっかくお金を払っているんだから有益な空間にするぞ!」と熱気を帯びた刺激に溢れているのがおもしろい。

https://ototakekouen.thebase.in/

(一応ー。)

 

無料の物が悪いとも思わなくて、そこにもメリットもデメリットもちゃんと存在する。それを理解しておければいいと思うんだ。

 

・お金以外の対価を払っている

払う対価はお金じゃない場合もあるでしょう?

 

・自分はほんとうに無料(他の人はお金を払っている)

他の人はお金という対価を払っている。自分はお金も対価も一見 払っていないものと、ほんとうに無料との二つに分かれるかな。

 

有料参加のフットサルチームがあったとして、私が有名フットサルプレイヤーだとする。そうすると、有名な私がそのフットサルチームに在籍しているだけで、そのチームの格式が上がる。私はお金も、お金以外の対価も払ってはいない。けれども、ある意味 対価を払っているのだ。

 

でもそれが、ほんとうに無料のものだったら、やっぱり私はそのフットサルチームには興味を持てないかも。

 

一見、無料の物というのは「お得」に感じる。それは日本人の文化なのかなと思うと、闇が深いなあ(笑)

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